何が起きたのか
OpenAIがChatGPTのmacOSデスクトップアプリに、ユーザーのPC操作を記憶に変換する機能「Computer History」を追加しました。9to5Macは2026年8月13日付でこの機能を報じ、以前のリサーチプレビュー「Chronicle」を置き換えるものだと説明しています(9to5Mac 2026-08-13)。
公式ドキュメント(OpenAI ChatGPT Learn)を直接確認すると、この機能の設計は3つの数字と1つの経路で要約できます。記録するのはスクリーンショットではなく操作イベント、一時イベントファイルの保持は最大48時間、生成された記憶はローカルの平文Markdownとして無期限に残る、そしてその記憶が将来のチャットで使われた場合はデータ制御設定次第でモデル改善に回りうる、という構造です。
なお本稿執筆時点で https://developers.openai.com/codex/memories/chronicle にアクセスすると、308リダイレクトで現在のComputer Historyページへ転送され、置き換えの関係がドキュメント側からも確認できます。
「画面は録らない、操作イベントを録る」の中身
公式ドキュメントは記録対象をこう定義しています。イベントにはクリック、タイピング、キーボードショートカット、アプリ切り替え、そしてmacOSが公開するコンテキストが含まれる。一方で、スクリーンショット、画面録画、マイク入力、システム音声は取得しない、と明記されています。プライベートブラウジング中の閲覧は履歴収集の対象に一切含まれません。
この差分がChronicleとの最大の違いです。公式ドキュメント自身が「Chronicle used screenshots. Computer History records interaction events and does not capture your screen or audio.」と書いています。the-decoderも2026年8月14日付の記事で、Chronicleがスクリーンショットに依存していたのに対し、Computer Historyは捕捉した操作イベントをテキスト要約に変換してローカルのMarkdown記憶ファイルとして保存する方式に作り直された、と整理しています(the-decoder 2026-08-14)。9to5Macの記述もこの点で一致しています。
要約の生成経路も公式に書かれています。Computer Historyは定期的にこれらのイベントをテキスト要約とローカル記憶ファイルに変換する、という記述に加え、一時的なCodexセッションがイベントストリームにアクセスして活動を記憶へ要約する、という説明が置かれています。つまり「常時LLMが画面を見ている」のではなく、イベントログを溜めて定期的に短命のセッションが要約を書き出す、バッチ型の設計です。
対象範囲はユーザーが決められます。設定の Computer history > Permissions で、除外リスト方式(Exclude these apps / Exclude these websites)と、許可リスト方式(Include only these apps / Include only these websites)のどちらかを選べます。前者は指定したものだけを塞いで他は通し、後者は明示的に選んだものだけを通します。既定でどちらが選ばれているかは公式ページの記述からは断定できませんが、業務端末に入れるなら許可リスト方式が設計思想として素直です。
48時間の一時ファイルと、無期限の平文Markdown
保存の設計は二層に分かれており、寿命がまったく違います。
一時イベントファイルはMac上に最大48時間保持され、その後ChatGPT/Codexによって削除されます。処理そのものはローカル完結ではなく、公式は「OpenAI processes temporary event files on its servers to generate memories, which are then stored locally on your Mac」と書いています。イベントファイルはサーバ側に送られて記憶に変換され、成果物だけが手元に戻る形です。そのうえで「OpenAI does not retain those event files after processing unless required by law and does not use them for training」と続きます。法的要請がある場合を除いて処理後は保持せず、学習にも使わない、という条文です。
もう一方の層が記憶ファイルです。こちらは環境変数 CODEX_HOME を基点とした memories/extensions/skysight/ 以下(通常は ~/.codex/memories/extensions/skysight/ に解決されます)に、プレーンテキストのMarkdownとして、ユーザーが手動で削除するまで置かれ続けます。このファイルについて公式ドキュメントは「They are not encrypted by Computer History, and other programs running as your macOS user may be able to access them」と明記しています。Computer History自身がこれらのファイルを暗号化しないという意味であり、FileVaultのようなOS側のディスク暗号化まで否定する記述ではありません。the-decoderも同じ点を、同一ユーザーアカウント上の他のプログラムから読める可能性として指摘しています。
寿命の非対称性を式にすると、この機能の攻撃面がどこにあるかがはっきりします。
$$T_{\text{event}} \le 48\ \text{h}, \qquad T_{\text{memory}} = t_{\text{delete}} - t_{\text{write}}$$$T_{\text{event}}$ は上限が決まっているのに対し、$T_{\text{memory}}$ はユーザーが削除操作を行うまで単調に伸び続けます。端末上の他プロセスから読み取られる機会の密度を $\lambda(t)$ とすれば、露出量は
$$R = \int_{0}^{T_{\text{memory}}} \lambda(t)\, dt$$として増えていきます。48時間という数字は目を引きますが、実務上のリスクを決めるのは上限のない側です。
保護のかけ方も、この2層で書き分けられています。一時イベントファイルについて公式は「The event files are isolated within the ChatGPT App Group, which prevents other apps from accessing them without explicit permission」と、ChatGPTアプリのApp Group内に隔離されると説明しています。一方、生成された記憶Markdownの側にその隔離は書かれておらず、先に引いたとおり「Computer Historyは暗号化しない、同じmacOSユーザーとして動く他のプログラムが読めるかもしれない」とされています。寿命の長い側のファイルほど保護が薄いという非対称であり、平文Markdownがホームディレクトリ配下に積み上がるという事実は、それ自体を運用ルールの対象にする必要があります。
削除の手段は用意されています。公式によれば設定の Computer history > History から要約された内容を確認でき、直近10分・1時間・1日・全履歴という単位で消去できます。将来の収集を止めたい場合はComputer History自体をオフにします。収集の一時停止と再開はmacOSのメニューバーからも操作できると記載されています。
既定オフ・管理者許可・個人オプトインという三段構え
有効化の条件は複数の論理積になっています。公式の記述を条件に分解すると、対象プランであること(Pro/Business/Enterprise)、Business・EnterpriseではワークスペースのAdminが Workspace Settings の Enable Computer History を有効にしていること、そのうえで個人がオプトインすること、提供地域であること、Memories機能が有効であること、の5つです。
$$\text{Enabled} = P \wedge A \wedge U \wedge R \wedge M$$ここで重要なのは $A$ と $U$ の関係です。管理者が Enable Computer History をオンにしても、それはメンバーがオプトインできるようになるだけで、自動的に有効化されるわけではないと公式は明記しています。管理者の操作は許可であって発動ではありません。逆に言えば、管理者が何もしなければBusiness/Enterpriseのメンバーは個人判断でオンにできない、という初期状態が保たれます。
適用範囲の制限も明確です。macOS上のChatGPTデスクトップアプリでのみ動作し、APIキー経由やAmazon Bedrock経由では利用できません。ChatGPTアプリという配布経路が、この機能のゲートを兼ねている構造です。
EEA・スイス・英国が対象外という事実の読み方
公式ドキュメントは、Computer Historyが欧州経済領域(EEA)、スイス、英国では現時点で利用できないと記載しています。9to5Macとthe-decoderの記事もこの3地域を同じく挙げています。ただし公式の表現は「not currently available」、9to5Macは「Initial availability excludes」であり、いずれも恒久的な除外とは断定できない書き方です。
OpenAIはComputer Historyの公式ドキュメント本文では、この3地域を対象外とした理由に触れていません(ChatGPT Learn 2026-08-17閲覧)。そのため、規制上のどの条項が効いているのかを外部から断定することはできません。ただし、対象がユーザーの操作イベント全般であり、処理の一部がサーバ側で行われ、生成物が端末に残るという構成は、データ保護法制の観点から検討事項が多いことは確かです。EEA・スイス・英国がまとめて外れているという並びを見れば規制対応との関連を考えたくなりますが、それは本稿の推測にとどまります。
日本は公式の地域除外リストに含まれていません。ただし利用には、対象プラン(Pro/Business/Enterprise)、macOS版ChatGPTデスクトップアプリ、Memoriesの有効化、個人のオプトインが必要で、Business・Enterpriseでは管理者によるアクセス許可(Enable Computer History)も必要です。各社の情報取扱ルールが端末操作の記録と外部処理を許すかどうかは、これらの技術的な利用条件とは別の導入判断になります。
自社Macに入れる前に決めておくべき5点
公式に書かれている事実だけから、意思決定が必要な論点を整理します。
第一に、対象アプリとサイトの方式です。除外リスト方式は「知らないうちに新しいアプリが対象になる」状態を作ります。パスワードマネージャ、社内管理ツール、顧客情報を扱うWebアプリなど、そもそも要約されては困る対象が明確な組織では、許可リスト方式(Include only these apps / Include only these websites)で通す対象を列挙するほうが、後から棚卸ししやすい構成になります。
第二に、記憶ファイルの扱いです。~/.codex/memories/extensions/skysight/ 配下の平文Markdownは、端末のバックアップ対象に入っていればそのままバックアップ先にも複製されます。クラウド同期フォルダの外にあるとはいえ、フルディスクバックアップやMDMのファイル収集ポリシーの射程には入りえます。バックアップ・端末回収・退職時の消去手順に、このディレクトリを明示的に含めるかどうかを決める必要があります。
第三に、データ制御設定と学習利用の関係です。公式は、ChatGPTまたはCodexが将来のチャットで記憶を使うとき、関連する記憶の内容と操作イベントがコンテキストとして含まれうると書いています。そしてそのチャット内容は、ChatGPTのデータ制御で許可されていればOpenAIのモデル改善に使われうる、と続きます。イベントファイル自体は学習に使わないという記述と、記憶がチャットに載った後の扱いは別の話です。この2段構えを理解したうえで、ワークスペースのデータ制御設定を先に確認しておくのが順序として正しくなります。
第四に、プロンプトインジェクションへの備えです。公式ドキュメントは「Computer History increases the risk of prompt injection from content in apps and websites」と書き、悪意ある指示を含むWebサイトを閲覧した場合にChatGPTやCodexがその指示に従ってしまう可能性を例として挙げています(ChatGPT Learn)。閲覧したページやアプリの中身が要約を経由してエージェントの入力になる以上、許可リストの設計はプライバシー対策であると同時に攻撃面の縮小策でもあります。
第五に、他人とのやり取りを記録する場合の同意です。公式ドキュメントは「Turn it off during communications with other people unless you have their prior express consent」と、相手の明示的な事前同意がない限り会話中はオフにするよう求めています(同ページ)。打ち合わせ中の画面操作やチャットのやり取りが要約対象に入る運用では、社内規程と記録に関する法令の両方を確認したうえで、オフにする場面をルールとして決めておく必要があります。
残された不確実性
公式ドキュメントの記述だけでは埋まらない点がいくつかあります。
macOSアプリのどのバージョンからこの機能が入ったのかは特定できていません。OpenAIの公式変更履歴(ChatGPT Learn Changelog)には2026年8月13日付でComputer Historyの追加が記載されていますが、そこにアプリのバージョン番号は書かれておらず、公式のComputer Historyページにもバージョンの記載はありません。そのため本稿ではバージョン番号を特定しません。
除外リスト方式と許可リスト方式のどちらが初期状態なのかも、公式ページの記述からは読み取れませんでした。導入時には実機の設定画面で確認する必要があります。
サーバ側での処理について、48時間という数字が適用されるのは端末上の一時イベントファイルです。サーバに送られたデータが処理中にどの程度の時間存在するのかは公式に記載がなく、「処理後は法的要請がない限り保持しない」という記述以上のことは分かりません。
EEA・スイス・英国で今後提供されるか、提供される場合にいつ開始されるかは、公式ドキュメントと公式変更履歴からは確認できません。公式の表現は「not currently available」「Initial availability excludes」にとどまるため、恒久的な除外とも、提供予定が確定しているとも断定できません。仮に提供される場合も、48時間の保持やローカルの平文Markdownという設計がそのまま適用されるのか、地域向けに変更されるのかは不明です。
記憶ファイルが平文であることについて、暗号化オプションの提供予定はドキュメント上に見当たりませんでした。同一ユーザーとして動く他のプログラムから読める可能性は公式ドキュメント自身が明記している設計上の性質ですが、実際の悪用事例が報告されているわけではありません。
まとめ
Computer Historyは、Chronicleの改名ではなく取得方式の作り直しです。スクリーンショットから操作イベント(macOSのアクセシビリティシステムが公開するコンテキストを含む)へ、という変更は、画面の視覚情報を送らないという意味でプライバシー上の前進に見えます。ただし記録の粒度としては、クリック・タイピング・ショートカット・アプリ切り替えという、行動そのものを構造化して残す方向に振れています。
保護の重心は3つに分かれています。既定オフ+管理者許可+個人オプトインという有効化のAND条件、48時間で消える一時イベントファイル、そして提供地域の制限。このうち前2つは設計で担保されていますが、生成された記憶ファイルの側には時間的な上限がありません。ホームディレクトリ配下に平文Markdownが積み上がる構造は、バックアップ・端末回収・共用端末という運用の文脈で扱う必要があります。
導入を検討するなら、機能をオンにする前に決めるべきなのは、対象アプリの許可方式、記憶ディレクトリの取り扱い、データ制御設定、プロンプトインジェクションへの備え、他人との会話を記録する際の同意の5点です。順序を逆にすると、消すべき対象が増えた後で運用ルールを作ることになります。
主要出典
- Computer History | ChatGPT Learn — OpenAI公式ドキュメント。記録対象と非記録対象、一時イベントファイルの最大48時間保持、記憶の保存先パス、Pro/Business/Enterprise限定と既定オフ、EEA・スイス・英国が対象外、API/Amazon Bedrock経由は不可、Workspace Settings の Enable Computer History、データ制御とモデル改善の関係が明記されています。一時イベントファイルがChatGPTのApp Group内に隔離される一方で記憶ファイルはComputer Historyが暗号化しないこと、プロンプトインジェクションのリスク、他人との会話を記録する際に事前の明示的な同意を求める記述も同ページにあります
- Memories | ChatGPT Learn — 記憶の一般仕様。既定オフであること、記憶がCodexホームディレクトリ配下に保存されること、Computer HistoryがmacOS限定の関連機能として位置づけられていることを確認しました
- ChatGPT for Mac adds opt-in Computer History feature, replacing Chronicle | 9to5Mac 2026-08-13 — Chronicleがスクリーンショット方式だったこと、Computer Historyがイベント方式に置き換わったことを報じています
- OpenAI’s Computer History turns your clicks and keystrokes into a searchable ChatGPT memory timeline | the-decoder 2026-08-14 — Chronicleのスクリーンショット方式からイベント方式への作り直しを整理した記事。記憶ファイルが暗号化されず同一ユーザーアカウント上の他プログラムから読める可能性がある点も指摘しています(同じ内容は公式ドキュメントにも明記されています)
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